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耳の穴をかっぽじいて、よく聞くがよい。
それがし、「流言」が大声でわめき立つるとき、
何人(なにびと)か、その耳を塞(ふさ)ぎうるものがありえようや?
日出づる東(ひんがし)の方よりして、日没する西の果てまで、
(と)き風はすべてわが御(ぎょ)する早馬、この世に生まるる
諸々(もろもろ)の所行は、のこらず伝え弘めるが、それがしの役目(つとめ)
(そし)り、誹謗、それらをことごとくわが舌三寸にのせ、
ありとあらゆる世の言葉にかえて、およそ偽りの流説(るせつ)を、
たえず世の人々の耳に詰めこもうというのが、わが魂胆、
たとえば、平和、泰平をそれがしが口にするとき、
まさしくそは、隠れし敵意を微笑の仮面に秘めて、
世界を乱そう寝刃(ねたば)を研ぎすましているときなのだ。
かと見ればまた、いまにも険(けわ)しい戦雲を孕(はら)んで、
すわこそ動乱の兆(きざ)しとばかり、おそれあわてて軍勢を催し、
すっかり防御の態勢を固めるが常。しかし、その実、
さような事実など、微塵(みじん)もないというこれが空騒ぎ。
これまたすべては「流言」、すなわち、それがしの仕業(しわざ)なのだ。
「流言」とは、ただ疑心、憶測、猜疑(さいぎ)の吹き鳴らすラッパ――
かの大衆と呼ぶ白痴(こけ)の怪物、ふらふら腰の衆愚どもが、
無数の頭をふり立てふり立て、いとも安易に吹き立てる雑音、
不協和音にすぎんのだ。 もっとも、お互いは仲間うち、
いまさらそれがしの身上(しんじょう)を説いて聞かせる必要もあるまいが、



ヘンリー四世 第二部 幕開きの口上より
中野好夫訳
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