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http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A3?%A6%A3?%A6%A5?%A5%F3
R.D.Laing ロナルド・デヴィッド・レイン イギリスの精神科医。反精神医学運動の中心的人物。
1927-1989年。

1927年イギリスのグラスゴーに生まれる。1951年グラスゴー大学医学部卒業。3年間陸軍軍医となった後、グラスゴー王立精神病院、グラスゴー大学精神科、ロンドンのタヴィストック・クリニックに勤務・以後タヴィストック人間関係研究所に入り、ランガム・クリニック所長を兼務。1965年反収容主義を掲げてキングスレー・ホールを開き、独自の医療実践を展開。著書『ひき裂かれた自己』(1960)『自己と他者』(1961)『狂気と家族』(1964)『経験の政治学』(1967)『家族の政治学』(1969)『結ぼれ』(1970)『好き?好き?大好き?』(1976)『生の事実』(1976)(以上邦訳みすず書房)『レインわが半生』(1985、邦訳岩波書店など)。

R・D・レインは、1970年に出版した詩集『結ぼれ』によって、まったく新しいジャンルを創造したのである。それは詩とも、劇とも、対話とも読むことのできる新しい「シナリオダイアローグ」とも言えよう。『結ぼれ』は本として成功したばかりでなく、演劇の台本になり、また映画にもなった。




心理学の歴史
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/mountain-field/Feeling-Place/history.htm
書評:『ひき裂かれた自己』 
http://www.logico-philosophicus.net/gpmap/books/LaingRD001.htm
Ronald David Laing
http://en.wikipedia.org/wiki/R._D._Laing

精神分裂症は器質的障害、という見解でも有ったらしい。
ダブル・バインド理論とは非常に親近性があるらしい。


どこからコピペしたか忘れた…

わたしはなくしてしまった

なくしたって なにを?

どこかで見かけましたか?

見かけたって なにを?

わたしの顔を

いいえ
(R.D.レイン『好き? 好き? 大好き?』村上光彦訳 みすず書房)


人間は、自分が縁を切りたいと思ってもそうできない他者の補完物としてのアイデンティティを負わされているのに気づくとき、罪責感よりはむしろ、羞恥心をひき起こすように思われる。
(R.D.レイン(志貴春彦ほか訳)『自己と他者』みすず書房、1975年、101頁)


精神分析医のR.D.レインは『自己と他者』(志貴春彦・笠原嘉訳 みすず書房)のなかで、アイデンティティとは「自分が何者であるかを、自分に語って聞かせる説話(ストーリー)である」とした。
自分はこのような人間だ、という直接的な形をとるばかりでなく、〜が好きだ、〜と思う、と、普段「わたしは」という主語をつけずに考えるようなことがらであっても、〜が好きだ、〜と思う、と考えながら、実は自分自身のアイデンティティを確認しているのだ。ものごとについても、自分がやったことが、かくかくしかじかのことを引き起こした、という、自分を中心とした因果関係の物語として、理解し、把握している。


女性は、子供がなくては母親になれない。彼女は、自分に母親としてのアイデンティティを与えるためには、子供を必要とする。愛人のいない恋人は、自称恋人にすぎない。見方によって、悲劇でもあり喜劇でもある。〈アイデンティティ〉にはすべて、他者が必要である。誰か他者との関係において、また、関係を通して、自己というアイデンティティは現実化されるのである。


精神分析の研究者であるロナルド・デビッド・レインによると「自己のアイデンティティとは、自分が何者であるかを、自分に語って聞かせる説話[ストーリー]である。」
つまり自分を納得させる一種の物語だというのである。しかし、これには他者の承認が必要だ。つまり、アイデンティティを維持するためには、自分の主張するアイデンティティをたえず承認し肯定してくれる他者がいなければならない。レインのことばを借りると「〈アイデンティティ〉にはすべて、他者が必要である。誰か他者との関係において、また関係を通して、自己というアイデンティティは現実化されるのである。」



影響を受けたと思われる小説、コミックなど

エヴァンゲリオン第弐拾伍話のタイトルが『終わる世界』であり、その英題は『Do you love me?』であるのだけど、それはレインの著書『好き?好き?大好き?』の原題でもある。

好き好き大好き超愛してる。 好き好き大好き超愛してる。
舞城 王太郎 (2006/08/08)
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好き好き 大嫌い 好き好き 大嫌い
岡崎 京子 (1989/07)
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バナナブレッドのプディング (1980年) バナナブレッドのプディング (1980年)
大島 弓子 (1980/12)
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メデュウサ メデュウサ
山岸 凉子 (1991/08)
朝日ソノラマ

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吉田 戦車 (1998/11)
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田口ランディのコラムマガジン★★2000.11.24
http://www.melma.com/backnumber_1926_1366212/
 20代の前半に私がどえらく影響を受けた本が三冊ある。『気流の鳴る
音』(真木悠介)『引き裂かれた自己』(レイン)、そして藤原新也さ
んの『印度放浪』である。





影響を受けたものは、もっとたくさん有るだろうな。 
諸星大二郎の栞と紙魚子シリーズ中にも、「顔」を落とす話が有った。
ネットの書評をあれこれ読むと、いろいろ思い当たるのがいっぱい。

大塚英志の一連の少女漫画における「内面」という言葉も、どこかレイン経由のように思えるなぁ。
岡田有希子を論じたものは、「身体化されない内的自己」と「身体化されたにせ自己」の分裂という論旨だったような記憶が…

乳の海 / 藤原 新也の透に関する記述も、かなりレインの影響が強いのではないだろうか?

ちなみに、私はまだレインを1冊も読んでいない。
ニューアカ・サブカルに若干は嵌っていて、そこには精神分析的な言説がやたらと有ったのに、レインは読んでいない。 精神分析や心理学は、あんまり好きではない分野だから、その他のものだってろくに読んではいないのだけれども。
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『ひき裂かれた自己』
投稿者:JN HP 2007/01/21 10:08 EDIT
『ひき裂かれた自己』がすごく好きです。
無題
投稿者:倫敦橋 HP 2007/01/22 03:38 EDIT
「学問」としてではなく「文学」として、かなりの影響力が有ったし、いまも有るのかなぁ… という印象だなぁ。
          
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