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 おそろしく醜い男が入ってきて、鏡の中の自分を見詰めている。

 「――どうして鏡を見詰めるんですか、不快な思いをするだけなのに?」

 おそろしく醜い男は私に答える、「――それはですね、一七八九年の不滅の原理によれば万人は権利において平等である、故に私にも、鏡に己を映す権利がある、快か不快かは私の意識次第、というわけです。」

 良識の名において、私は正しかった。が、法律の観点からすれば、彼も誤ってはいなかった。




 

 港は、人生の闘いに疲れた者にとって、魅力的な滞在地である。空の広がり、雲の移動建造物、海の変幻自在な色彩、灯台のきらめき、それらは、決して目を退屈させることなく、楽しませるのにすばらしく適したプリズムだ。それぞれに複雑な艤装を凝らした船のすらりとした形、それらの船に波が調和のとれた振動を与える様子は、魂の中に、律動と美への好みを保たせるのに役立っている。それに、とりわけ、もはや好奇心も野心ももたぬ者にとって、あずま屋に寝そべったり防波堤に肱をついたりしながら、出発する者たちと帰還する者たちの、いまだに意欲する力と旅や富への欲求とをもつ者たちの、あれらすべての動きを眺めていることは、一種神秘的で貴族的な快楽なのである。





山田兼士 訳

http://homepage2.nifty.com./yamadakenji/spleen40.htm
http://homepage2.nifty.com./yamadakenji/spleen41.htm
からの転載。 解説もそちらにありますので、ご一読を。

この短い二つの散文詩は、見開き2ページに並べてみれば「対位法」の関係にある、という事なので、2編とも載せてみた。

「鏡」ではおそろしく醜い男良識法律が対位法で書かれているが、全体としては「不快」に関しての散文詩。
「港」は、眺めるだけの詩人元気な港の人達が「対位法」だけれど、「快感」について書かれています。
二つの散文詩を見開きページで読むことで、「不快」「快感」についての散文詩という読み方ができます。

「港」を改編して「web」なんてのを作ってもいいかも…などと思った。(作らないけれど)
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