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撰集抄
巻五第一五 「西行於高野奥造人事」(西行高野の奥に於いて人を造る事)

同比、高野の奥にすみて、月の夜比には、或友達の聖と諸共に、橋の上に行合侍りてなかめ/\し侍りしに、此聖、京になすへきわさの侍りとて、情無ふり捨て登りしかは、無何、おなしくうき世を厭華月のなさけをもわきまへ(ら)んとも恋しく覚しかは、思はさるほかに、鬼の、人の骨を取集侍りて人に作りなす様に、可信人のおろ/\語り侍りしかは、其まゝにして、広野に出て、骨をあみ連らねて造て侍れは、人の姿には似侍りしかとも、色も悪く、すへて心もなく侍りき。

声は有共、絃管声の如し。けにも、人は心かありてこそは、声はとにもかくにもつかはるれ。たゝ声の出へき間のことはかりしたれは、吹そんしたる笛のことし。大かたは、是程に侍るふしき也。

扨も、是をは何とかすへき、やふらんとすれは、殺業にやならん。心のなけれは、唯草木と同しかるへし思へは人の姿也。しかしやふれさらんにはと思て、高野の奥に人も通はぬ所におきぬ。もし、をのつから人の見るよし侍らは、はけ物成とおちを(そ)れむ。

扨も、此事不思義に覚て華洛にいてゝかへりし時、をしへさせ給へりし徳大寺へまいり侍りしかは、御参内の折節にて侍りしかは、空く罷帰て、伏見の前中納言師仲の卿の御許にまいりて、此事を問奉りしかは、何としけるそと仰せられし時、其事に侍り。広野に出て、人も見ぬ所にて、死人骨を取集て、頭より手足の骨をたかへてつゝけ置て、ひさらと云ふ薬を骨にぬり、いちことはこへとの葉をもみ合て後、藤の若はへなとにて骨をからけて、水にて洗侍りて、頭とて髪の生へき所には西海枝のはとむくけの葉とをはいにやきて付侍りて、土の上にたゝみをしきて、彼骨をふせておきて、風もすかすしたゝめて、二七日置て後、其所にゆきて、沈と香とを焼て、反魂の秘術をゝこなひ侍りきと申侍りしかは、大方はしかなり。

反魂術猶日浅侍るにこそ。我は、思さるに四条大納言公任イの流を受て、人を作侍りき。今卿相にて侍と、其とあかしぬれは、作たる物も他せられたる物もとけうせけれは、口より外には出さぬなり。

其程まて智られたらむには教申さむ。香をはたかぬなり。其故は、香は魔縁をさけて聖衆を集徳侍り。然るに、聖衆生死を深くいみ賜ふ程に、心の出くる事かたし。沈と乳とをたくへきにや侍らむ。

又、反魂の秘術をゝこなふ人も、七日物をくうましき也。しかうして造賜へ。すこしもあひたかはしとそおほせられ侍りし。しかあれとも、由無と思帰して、其後は造らぬなり。

又、なかにも土御門の右大臣の造給へるに、夢におきな来て、我身は一切の死人を領せる物に侍り。主にもの給あはせて、なと此骨をは取給にかとて、うらめる気色みてけれは、若此日記を置物にあらは、我子孫造て霊に取れなん、いとゝ由無とて、やじかてやかせ給にけり。きくも、無益のわさと覚侍り。よく/\可心得事にや侍らむ。

但、呉竹の二子は、天老と云ふ鬼の、頻川のほとりにて作出せる賢者とこそ申伝たるなれ。



【大意】
 友人が欲しいと思った西行は反魂の術を行った。ところが、そうして甦った人間には心がなかった。
西行は反魂の術のことを、よく知らなかったのだ。

西行於高野奥造人事

西鶴が描いたと思われる『西行撰集抄』の挿絵
http://www.nul.nagoya-u.ac.jp/event/tenji/2002/tokusyu/saigyo/saigyo.html


無理して「人間」を造ろうしてもなぁ…
西行さんでさえそういう誘惑に逆らえなかったわけだなぁ
西行は後悔するが、「心がないなら草木と一緒。でも、人の姿をしているからなぁ…」と山奥の放置してしまう。

後始末ぐらいして欲しいぞ、などと思ったり、思わなかったり…
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へんな心

株がさがる 株がさがる
小気味よくも 株がさがる
成金どもが 泣いて狂ひ
首くくるも 因果応報
  株がさがる 株がさがる
  小気味よくも さがるよ あーーーあ
  さがるよ

命がけで 乗ろとしても
乗れぬ電車 いやな電車
故障電車 停電電車
サボリ電車 改良するは
  いつのことか 改良もせずに
  値上げばかり 困るよ あーーーあ
  困るよ

田尻さんや 田尻さんや
東京市内 到るところ
塵芥(ごみ)の山だ ゴミの山だ
どうかせぬか 田尻さんや
  コレラコレラ 怖くないか
  おいら怖い 怖いよ あーーーあ
  怖いよ




メロディを聴けば、おそらくみんな知っているヴェルディのリゴレットよりマントヴァ公のアリア「女心の歌」の替え歌です。

最近は携帯の着メロにも有るみたい。
メロディは、ここあたりで聞けます。(ページを開くと演奏されるので注意)

ヴァーチャルうたごえ喫茶「のび」
http://utagoekissa.music.coocan.jp/utagoe.php?title=onnagokoronouta&type=midi

日本初演は1916年,東京浅草の駒形劇場で清水金太郎,田谷力三,原信子主演で行われたそうで、それを添田唖蝉坊が替え歌にして歌ったものらしい。
「田尻さん」というのは当時の東京市長田尻稲次郎。1918年4月5日 - 1920年11月27日まで在職。専修大学創立者の一人で、「積読」という言葉の言い出しっぺ。


<参考>
梅丘歌曲会館「詩と音楽」
http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs.htm
http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/V/Verdi/S882.htm


あんまり正月らしくもない気がするが、もうひとつ紹介




わからない節


ああわからない わからない 今の浮世は わからない
文明開化と いうけれど 表面ばかりじゃ わからない
瓦斯や電気は 立派でも 蒸汽の力は 便利でも
メッキ細工か 天ぷらか 見かけ倒しの 夏玉子
人は不景気 不景気と 泣き言ばかり 繰り返し
年が年中 火の車 廻しているのが わからない

ああわからない わからない 義理も人情も わからない
私欲に眼が くらんだか どいつもこいつも わからない
なんぼお金の 世じゃとても 赤の他人は いうもさら                   
親類縁者の 間でも 金と一と言 聞く時は
忽ちエビスも 鬼となり くまたか眼を むき出して
喧嘩口論 訴訟沙汰 これが開化か 文明か

ああわからない わからない 乞食に捨児に 発狂者
スリにマンビキ カッパライ 強盗窃盗 詐欺取財
私通姦通 無理情死 同盟罷工や 失業者
自殺や餓死 凍え死に 女房殺しや 親殺し
夫殺しや主殺し 目も当てられぬ 事故(こと)ばかり
無闇矢鱈に 出来るのが なぜに開化か 文明か

ああわからない わからない 賢い人が なんぼでも
ある世の中に 馬鹿者が 議員になるのが わからない
議員というのは 名ばかりで 間抜けでふぬけで 腰抜けで
いつもぼんやり 椅子の番 唖かつんぼか わからない

子曰:“放於利而行,多怨。”

し のたまわく りに よりて おこなえば うらみ おおし

The Master said: "He who acts with a constant view to his own advantage will be much murmured against."

子曰:“君子喻於義,小人喻於利。”

し のたまわく くんしは ぎに さとり しょうじんは りに さとる

The Master said, "The mind of the superior man is conversant with righteousness; the mind of the mean man is conversant with gain."


「利」の訳し方もいろいろなんだな。

毎日新聞によると、最近の学校では「し のたまわく」ではなく「し いわく」と教えているらしい。 かなりの違和感…、

論語:子曰く「論語は小1から」!? 古典重視、音読広がる /東京

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/wadai/archive/news/2007/06/20070607ddlk13040425000c.html

梁惠王上:孟子見梁惠王。王曰:“叟不遠千里而來,亦將有以利吾國乎?”

Liang Hui Wang I: Mencius went to see king Hui of Liang. The king said, 'Venerable sir, since you have not counted it far to come here, a distance of a thousand li, may I presume that you are provided with counsels to profit my kingdom?'

孟子對曰:“王何必曰利?亦有仁義而已矣。王曰‘何以利吾國’?大夫曰‘何以利吾家’?士庶人曰‘何以利吾身’?上下交征利而國危矣。萬乘之國弒其君者,必千乘之家;千乘之國弒其君者,必百乘之家。萬取千焉,千取百焉,不為不多矣。苟為後義而先利,不奪不饜。未有仁而遺其親者也,未有義而後其君者也。王亦曰仁義而已矣,何必曰利?”

Mencius replied, 'Why must your Majesty use that word "profit?" What I am provided with, are counsels to benevolence and righteousness, and these are my only topics. 'If your Majesty say, "What is to be done to profit my kingdom?" the great officers will say, "What is to be done to profit our families?" and the inferior officers and the common people will say, "What is to be done to profit our persons?" Superiors and inferiors will try to snatch this profit the one from the other, and the kingdom will be endangered. In the kingdom of ten thousand chariots, the murderer of his sovereign shall be the chief of a family of a thousand chariots. In the kingdom of a thousand chariots, the murderer of his prince shall be the chief of a family of a hundred chariots. To have a thousand in ten thousand, and a hundred in a thousand, cannot be said not to be a large allotment, but if righteousness be put last, and profit be put first, they will not be satisfied without snatching all. There never has been a benevolent man who neglected his parents. There never has been a righteous man who made his sovereign an after consideration. Let your Majesty also say, "Benevolence and righteousness, and let these be your only themes." Why must you use that word - "profit?".'


「仁義」の英訳は benevolence and righteousness なんだな。

「利」は profit 。

新豐折臂翁                   白居易


新豐老翁八十八,頭鬢眉須皆似雪。玄孫扶向店前行,
左臂憑肩右臂折。問翁臂折來幾年,兼問致折何因緣。
翁雲貫屬新豐縣,生逢聖代無征戰。慣聽梨園歌管聲,
不識旗槍與弓箭。無何天寶大徵兵,戶有三丁點一丁。
點得驅將何處去,五月萬里雲南行。聞道雲南有瀘水,
椒花落時瘴煙起。大軍徒涉水如湯,未過十人二三死。
村南村北哭聲哀,兒別爺娘夫別妻。皆雲前後征蠻者,
千萬人行無一回。是時翁年二十四,兵部牒中有名字。
夜深不敢使人知,偷將大石捶折臂。張弓簸旗俱不堪,
從茲始免征雲南。骨碎筋傷非不苦,且圖揀退歸鄉土。
此臂折來六十年,一肢雖廢一身全。至今風雨陰寒夜,
直到天明痛不眠。痛不眠,終不悔,且喜老身今獨在。
不然當時瀘水頭,身死魂孤骨不收。應作雲南望鄉鬼,
萬人塚上哭呦呦。老人言,君聽取。
君不聞開元宰相宋開府,不賞邊功防黷武。
又不聞天寶宰相楊國忠,欲求恩幸立邊功。
邊功未立生人怨,請問新豐折臂翁。



新豐(しんぽう)の臂(うで)を折りし翁(おきな)      白居易
 
新豐の老翁(ろうおう)  八十八,
頭鬢(とうびん) 眉鬚(びしゅ)  皆 雪に似たり。
玄孫に 扶(たす)けられ  店前(てんぜん)を行く,
左臂(さひ)は 肩に憑(よ)り  右臂(うひ)は 折れたり。
翁に問ふ「 臂(うで) 折りてより  來(このかた)幾年ぞ」と,
(くは)へて問ふ「折るを致せしは  何の因縁ぞ」と。

翁 云ふ「貫(かん)は  新豐縣(しんぽうけん)に 屬し,
生まれて 聖代(せいだい)に逢(あ)って  征戰 無し。
梨園 の歌管(かかん)の聲(こえ)を  聽くに 慣(な)れ,
旗槍(きそう)と 弓箭(きゅうせん)とを  識(し)らず。
(いくばく)も 無く 天寶(てんぽう)  大いに兵を 徴(ちょう)し,
(こ)に 三丁(さんてい) 有れば  一丁(いってい)を 點(てん)す。
點し得て 驅(か)り將(も)ちて  何處(いづく)にか 去(ゆ)く,
五月 萬里  雲南に行く。

聞道(きくなら)く 『雲南に 瀘水(ろすゐ) 有りて,
椒花(しょうか) 落つる時  瘴煙(しゃうえん) 起こり,
大軍 徒渉(としょう)すれば  水 湯の如く,
(いま)だ 過(す)ぎざるに 十人に  二三は死す』と。
村南村北(そんなんそんほく)  哭聲(こくせい) 哀(かな)し,
(こ)は 爺孃(やじょう)に 別れ  夫は 妻に 別る。
皆 云(い)ふ『 前後  蠻(ばん)を征する者,
千萬人 行きて  一の廻(かへ)るもの無し』と。

(こ)の時 翁 年二十四,
兵部(へいぶ)の 牒中(ちょうちゅう)に  名字(めいじ) 有り。
夜 深(ふ)けて 敢へて人をして知らしめず,
(ひそ)かに 大石を 將(も)ちて  槌(たた)きて臂(うで)を折る。
弓を 張り 旗を 簸(ふ)る  倶(とも)に堪(た)へず,
(これ)より  始めて 雲南に 征(ゆ)くを 免(まぬが)る。

骨 碎け 筋 傷(いた)むは  苦しからざるに非(あら)ず,
(じばら)く圖(はか)る 揀(えら)び退けられて  鄕土に歸るを。
(こ)の臂(うで) 折れてより 來(このかた) 六十年,
一肢(いっし) 廢(はい)すと雖(いへど)も  一身(いっしん) 全(まっと)うす。
今に至るも 風雨(ふうせつ) 陰寒(いんかん)の夜,
(ただ)ちに 天明(てんめい)に 到るまで  痛みて 眠れず。

痛みて眠れざるも, 終(つひ)に 悔(く)いず,
且つ喜ぶ 老身  今 獨り在るを。
(しか)らずんば 當時(とうじ)  瀘水(ろすい)の頭(ほとり)
身は死し 魂 孤(ひとり)にして  骨 收められず。
(まさ)に 雲南  望鄕の鬼(き)と作(な)り,
萬人冢(ばんじんちょう)の上(ほとり)  哭(な)くこと 呦呦(いういう)たるべし。」

老人の言,君 聽取(ちょうしゅ)せよ,
君 聞かずや  開元の宰相(さいしょう) 宋開府(そうかいふ)
邊功(へんこう)を 賞(しょう)せずして 黷武(とくぶ)を 防ぐ。
又 聞かずや  天寶(てんぽう)の宰相 楊國忠(ようこくちゅう)
恩幸(おんこう)を 求めんと 欲して 邊功(へんこう)を立つ。
邊功 未(いまだ)だ立たざるに  人の怨(うら)みを 生ぜしを,
(こ)ふ 問へ  新豐の 臂(うで)を折(お)りし翁(おう)に。



(大意)
老人が「二十四歳の時、自分で腕を折り徴兵を逃れた。後悔はしていない。」と語る。
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