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DJ研に関係されている「ジャーナリスト」に限らず、マスコミ関係者のblogがやたらと炎上している今日この頃なのだが。
アメリカで起きたことが2年遅れで日本におきつつあるのかな、などとhotwiredの記事を読んでいて思ったりする。

2004年9月1日の記事
見直される「市民の声」としてのブログ
http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20040909207.html

 主流メディアが輝きを失ったもう1つの理由は、由緒正しい新聞雑誌が相次ぐスキャンダルに見舞われたことにある『ニュー・リパブリック』誌のスティーブン・グラス氏、ニューヨーク・タイムズ紙のジェイソン・ブレア氏、『USAトゥデイ』紙のジャック・ケリー氏らによる記事捏造事件だ。どの事件も、多くの米国人が長年抱いていた疑念記者たちは、自身のなすべき仕事に従事するだけにとどまらず、ときには話を完全に作り上げているという疑いが正しいことを完全に裏づけるものだった。

 それでもなお、「正統派」ジャーナリストたちは、ブロガーを見下している。かつて紙媒体の記者たちがオンライン・ニュース専門の記者をさげすんだのと同じように。彼らはブログに監督者がいないこと(つまり自由だということ)に唖然とすると言う。ブログには編集の手が入らない。客観性も約束しないし、事実関係をチェックする者もいない。また大半はジャーナリストとしての訓練を受けていないまるで、ジャーナリズムに携わるのに免許か何かが必要であるような言い草だ。こうした正統派的な考え方でいくと、ブロガーはまったく信用できないということになる。



ジャーナリストとしての訓練や経験を積んでいる「正統派」というのが、炎上したblogの売りだった訳なのだが、実態としては
『ブログには編集の手が入らない。客観性も約束しないし、事実関係をチェックする者もいない』
という、「普通」のblogにすぎなかった、ということなのだろう。

紙媒体などの旧来メディアや大手ポータルサイトの看板となっても、一般人のblogと同じフラットな平面で扱われてしまう。
職業としてのジャーナリストたちは、特にフリーだとつらい時代になってしまったのだろうな。

その一方で「参加型ジャーナリズム」を推進しようとする動きもある。
記事中の「正統派」の言うblogの欠点は、逆に優位な点だとしているみたいだ。
機械的に逆転させてみる。

・編集の手が入らない=インタビューは無編集なほどよい。
・客観性よりも主観的に書く方がよい。
・事実関係のチェックは、読者のコメントで…

んんん〜、こうやってみるとGripBlogになってしまうなぁ。
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これまでに佐々木俊尚さんが、ライブドアに関してネットで発表された記事を並べてみます。

2006年1月20日
ライブドアへの強制捜査にからんでのうわさ話 
http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/e/df7721e0a4e9f6e7bd1dd018ffb0b401

 ライブドアの犯した法違反や今後の捜査の動向には何の影響もないが、しかし地検がどのようにして今回の捜査をスタートさせたのかは、かなり気になるところなのである。真相はどうなのだろう。


ジャーナリストがうわさ流してどうするorz 』とTBで突っ込まれてます。

2006年2月15日
モラル社会を取り戻せ?
http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/e/a2b680095375effb47aeb8eb3cec6404

ライブドア事件の本質というのは、単なる極端な私見であることを承知で言わせてもらえれば、(略)



私見ですかぁ…。 どこか別の媒体で噂の真相を取材し発表されておられるのかもしれませんが。
この記事は世論がライブドア叩きに振れる中での擁護論ですが、どこか「戦後日本論」になっています。

2006年03月02日
一線ジャーナリストに聞く、ライブドア事件(5)
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1747047/detail

 「これからはポータル事業だとネットビジネス全般で言われたことであり、堀江氏の戦略は間違っていなかった。実際、ライブドアのポータル事業は今でも順調に成長している。実態が無いということは全くない。ただ、ポータル事業の問題点は、ページビュー(閲覧数)が売り上げに直結しないこと。売り上げが付いてくるには1−2年待たねばならない。ライブドアではファイナンス事業が急成長する中で、メディア事業は赤字体質であった。そこに『何とかしなければならない』という焦りがあったのではないか」


 「堀江氏はマスコミで思われているほど、ワンマンでも、カリスマでもない。堀江氏の能力は、仕組み作りのうまさだ。人事政策や意志決定システムを作り、虎視眈々と集まった野武士的な人材が好き勝手に仕事ができるよう、うまく組織を作った。だからこそ、極めて優秀な人材が集まってきた。彼らは堀江氏に心酔して集まってきたわけではなく、ライブドアに来ればおもしろいことができる仕組みがあったからだ。平松氏のように、日本のオールド・エスタブリッシュメントの感覚に近い人物が社長になるとコーポレートガバナンスを盛んに言い出すのではないか。すると、ライブドアが持っていた野生集団的な臭いが薄れ、虎視眈々としている優秀な人材が離散してしまうおそれがある。しかも、それを受け入れるベンチャー企業が育ってきている」



堀江前社長ひきいるライブドアへの高い評価と、その中にいる野武士的人材への思い入れが感じられます。
そして今回の記事でライブドアを飛び出した旧幹部、山崎徳之さん・羽田寛さんの新事業の紹介です。
http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/07/web20.html

さすが「ヒルズな人たち―IT業界ビックリ紳士録」、「ライブドア資本論」を書かれる人だけのことはある、というのはもちろん皮肉です。

取材対象に対して、ちょっと批判的な「視点」が足りないように思います。
視点を取材対象へ向けるのではなく、逆に取材対象を内側に囲い込み、一体化し、それを囲む外側の「日本社会」への批判が中心となっているようです。
「ITジャーナル」の他の記事での、伸び盛りのIT企業への取材にも、取材対象への思い入れが感じられます。

泉あいさんのインタビューも、取材対象への突っ込みが足りませんでした。
そもそも見出しにでっかく「上司も先輩もいないので、導いてくれるのは読者しかいない」
http://hotwired.goo.ne.jp/original/sasaki_it/050927/

以下のエントリーでの泉さんとumeさんの関係を読んだ後でも、この見出しが本当だと思っておられるのでしょうか。
http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_9e3c.html
http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_fcd9.html
見出しだけではなく、泉さんがジャーナリストを志すきっかけ、報道機関を立ち上げようとする動機の片鱗、支援者など、このインタビューで語られていた通りなんでしょうか。

佐々木さんは取材相手にやさしい、というか伸び盛りのIT業界人となれ合っているように思えます。
それでは提灯記事になってしまうのではないですか。

【関連記事】
佐々木俊尚とは
http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-72.html
訴訟騒動(4)
http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-71.html
ネット・ビジネス・コンサルタントなの?
http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-77.html

けろやん。ブログ。
[雑記] 悲しきポータルサイト
http://d.hatena.ne.jp/keroyaning2/20060202/1152650192
「アルファコメンテーター」とはアルファブロガーに引っかけて、この問題を追及している鮫島さんが創り出した造語です。

「アレフブロガーの時代」による鮫島さんと黒崎さんの紹介
http://alephblogger.blogspot.com/2006/06/blog-post_24.html

 黒崎         http://kurosaki-yowa.seesaa.net/
藤代裕之や泉あいなどのネットジャーナリズムもどきを実践する人々にツッコミコメントを入れ、その質の悪さをあぶりだす達人。味のある語り口で、じわりじわりと本質に迫る。

 鮫島         http://blog.livedoor.jp/soul_shadows/
黒崎と同じく、粗悪なネットジャーナリズムもどきを追及する。食いついたら離れないしつこさや、公開質問状で矛盾を突くなどの、鋭さが持ち前。


2ちゃんねるでの紹介

■黒崎
コメンテーター兼ブロガー。通称「黒」。年齢・出身・正体は明らかにされていない。湯川とは何度か会談している。一連の問題では当事者でもあり、umeから「訴訟する」と宣告されている。その一方で泉あい氏とその周辺に対し徹底した批判を浴びせる。「下着のよごれたような」や「白樺派」などの印象的レッテルを貼り、知らない間に定着させてしまう技を持つ。敵にまわしたくない人物としては典型例。「黒崎」というペンネームは鮫島が考案。女ブロガーAaの天敵。「慇懃無礼」「あんな下品な人」などと称される。ガ島炎上メンバー。

■鮫島
コメンテーター兼ブロガー。通称「鮫ちゃん」。基本はお茶目なキャラだが、攻撃のスイッチが入ると止まらないのは「泉あいの耐震偽装取材批判」や「踊る新聞屋批判」でも明らかになった通り。昔のログを引っ張ってきて揶揄したり、対象会社に事実確認のメールを入れたりと、具体的なダメージを狙ってくるので、精神的な揺さぶりをかける黒崎よりもある意味で厄介。
黒崎とは10年以上のコンビ。泉以外の女に甘い。アイフル探偵学校。ガ島炎上メンバー。



「ブロガー」とされてはいますが、どうもこの「ことのは問題」のために新たに立ち上げたといったほうがいいような。 (別名で運営していたのかも知れないが)

鮫島さんのblogに2400 bpsのモデムという話が出てくるから、90年代初めからのパソコン通信経験者なんでしょう。 9600bpsは90年代半ばだったか。 win95でインターネットが普及するんだが、ホワイトハウスの猫のソックスの鳴き声を聞くのに10分以上もかかった時代よりも前の、昔からのネットワーカーなんでしょう。

ネット環境と文体はそれなりに関係がある。昔は通信費コストが高く、また掲示板も容量が小さかったから、それなりの文体が発達する。 今みたいな常時接続、サーバーの限界を気にしないで済む時代だからこそ、2ちゃんねるのような形が可能になったわけで、それ以前の議論系掲示板だと、独特の文体・バトル方法があった。

パソコン通信やfjなど、もう出来た当初からバトルがつきものだったから、ご両人ともバトル慣れしてるみたいですね。

パソコン通信の場合、ある程度経験を積むと運営側になったりもしますが、なんていうのかなぁ、「流しの論客」になる人もいます。
もめ事が起こると、普段はそこで発言していない「流しの論客」が多数集まって議論を始め,運営側を糾弾したりします。
結果、おとなしい(?)常連さん達はしらけて書き込みが減り、後には廃墟が…

「流しの論客」さんたちは毀誉褒貶が激しい、というか一般的には嫌われていたんじゃないかな。

さて、今回の「ことのは問題」だけれど、黒崎さん、鮫島さんはある層からはかなり嫌われています。
「流しの論客」という形の言論活動に対する反感もあるだろうし、ここ最近のバトルのやり方とはちょっと違う文化や世代の違いがあるのかも知れない。

まぁ、このバトルを注目し、アルファコメンテーターに喝采を送る層は限られているのだろうとは思う。
TVとかに出てくる「辛口コメンテーター」よりも、ある意味たちが悪い存在だからなぁ。
ガ島さんがDJ研の様子をレポートされています。
その中で気になる部分。

[イベント]「デジタル・ジャーナリズム研究会」連続討論スタート
http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20060520

さらに、ジャーナリズムとビジネスの問題、仮にマスコミが暴力装置としての国家への対抗力を引き受けているのであればブログなどはどうなるのか(国家権力が本気を出せばブロガーなど軽々となぎ倒されてしまう。そういう意味では新聞ジャーナリズムがこのまま弱くなるのは大きな問題だ…)、などの課題も提起されました。


これは佐々木俊尚さんが提起された課題なのではないか、という気がします。
その直後の佐々木さんの記事 http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/05/post.html には、その問題意識が潜んでいるように思います。

この課題は佐々木さんの中では次のように意識されているのではないでしょうか。
新聞ジャーナリスト達のブログが軽々と炎上し、なぎ倒されるのは大きな問題だ…
国家への対抗力、チェック機能をはたすべきジャーナリストという役割は強く意識されています。 しかし佐々木さん、歌田さんの「ことのは問題」のインタビューや記事にはオウムに対する対抗力・チェック機能はあったのでしょうか。

佐々木さんは記者時代のオウム取材経験を長々と書いておられます。そして松永さんに対してインタビューもしています。 そして、松永さんの意見をそのまま鵜呑みなされたように、次のように書かれています。

彼の意見から私が受け止めたのは、「オウム」や「大日本帝国」という被害を与えた側の認識のあり方の問題ではない。そうではなく、オウムや大日本帝国から被害を受けた側――つまり大日本帝国に侵略された中国や韓国と、オウムによって生命の危険を感じた日本国民の側の認識のありかたの問題だった。


佐々木さんが、まるで松永さんの代弁者になられたかのように見えます。
様々な批判に、佐々木さんはこう答えています。

滝本太郎先生へのご返事
http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/06/post_3.html

多くの人たちは、ただ漠然とした不安から、オウムのことをこれ以上知る必要はなく、とにかく排除すべきだと考えている――つまりオウムに対する認識の再構成を拒否しているのではないかと、私は思うのです。そして私は、その考え方はある種の危険性をはらんでいるのではないかと、やはり思うのです。

そう思ってしまう私は、危険な相対主義の持ち主なのでしょうか? そういうお利口さん的な高見に立ったような偉そうな考え方は捨て、「社会のために」という旗のもとに、オウムと戦い続けるべきなのでしょうか?



佐々木さんがジャーナリストとしてするべき戦いは、それこそ「オウムに対する認識の再構成」であるはずです。
松永さんのインタビューが、はたして現在のアレフのことを正確に語っていたのかを検証することが、佐々木さんのジャーナリストとしての使命です。

佐々木さんは「危険な相対主義の持ち主」ではないでしょう。
オウムを無邪気に擁護していた昔のジャーナリストたちと同じの、
ただの危険な馬鹿です。
泉あいさん、佐々木俊尚さん、R30さんによる松永英明さんへのインタビューがサイトに掲載されたのが4月24日。
それから1ヶ月ほど経ってから佐々木さんがblogに、歌田明弘さんが週刊誌に同じ話題を書かれることには、微妙な不自然さを感じます。

これは、5月20日の「デジタル・ジャーナリズム研究会」で打ち合わせをされたからではないでしょうか。 佐々木さん、歌田さん、R30さん、泉さんが揃って参加されております。
ガ島通信 http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20060520
 ■[イベント]「デジタル・ジャーナリズム研究会」連続討論スタート

佐々木さんはまた次のように書かれています。

ネット世論の「拠って立つ場所」とは
http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/06/post_1.html

 たとえば今回の「ことのは」問題に関して言えば、中心に泉あいさんと松永英明さんの存在する圏域。その外側に、R30さんや私、歌田明弘さん、湯川鶴章さんらの圏域。その外側に、内側の二つのサークルを徹底的に批判しているBigBangさんや美也子さんたちのいる圏域。


湯川さんまで同じ圏域だと、はからずも明かしておられます、
つまり、湯川さんのblogがumeさんの訴訟騒動で炎上し、黒崎さん「茶番」と断じても何も反論できずにいる圏域です。
同じ圏域では、同じ情報・同じような認識が共有されているのではないでしょうか。

そもそも「デジタル・ジャーナリズム研究会」は情報ネットワーク法学会の研究部会です。
そこでumeさんの訴訟騒動は話題にされなかったのでしょうか? 泉さんも相談されなかったのでしょうか。
umeさんは、ネットでの根拠のない噂で被害を受けたと訴えていました。 それを法的にどう対処し、救済するかを考えるのが情報ネットワーク法学会の役割であるはずです。

そのことに触れず佐々木さん、歌田さんが「社会が、いかにオウム信者を受け入れるか」という問題を論じるのは理解できません。
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